#PRAY FOR SHURIJO ~首里城への想いが集まる場所~
#PRAY FOR SHURIJO とは?
2019年10月31日の首里城焼。那覇市首里金城町に大きく構える真っ赤な沖縄のシンボルが一夜にして燃えてしまったことは、多くの人々にとってショックな出来事だったと思います。
私たちも、当たり前にあると思っていたものがなくなってしまった喪失感を強く感じました。しかし、この一件を喪失感だけで終わらせたくありませんでした。もう一度、沖縄に住む人々が沖縄について考え直すきっかけになるのではないかと考えています。
そこで私たちは「首里城に対する想いが集まる場」として#PRAY FOR SHURIJOというプロジェクトを立ち上げました。
本プロジェクトではHPを設置し、そこに写真とともにあなたの首里城に対する思い出や想いを投稿することができます。
HPへは以下からアクセスしてください
投稿のやり方
①上記リンクからHPにアクセス。
②ページ上部にある「+UPLOAD YOUR OKINAWA」のボタンをタップ。
③画像、メールアドレス、タイトル、思い出などのメッセージ、ハッシュタグ(任意)を入力。「利用規約に同意する」にチェックを入れ、「+UPLOAD YOUR OKINAWA」をタップ。
※今回アップロードしていただいた画像やメッセージは、今後動画作品等に転用させていただく場合があります。ご理解の上、ご協力いただければ幸いです。
本プロジェクトへの想い
プロジェクト設立までの経緯
冒頭に記したとおり2019年10月31日の首里城焼失は、沖縄に住む人々、沖縄にゆかりのある人々にとって大変ショックな出来事でした。
私たちRISE OKINAWAのメンバーも、同様にショックを受けていました。
その驚きとショックのさなか、RISE OKINAWAの発起人である照屋一輝は首里城復興を支援するための資金の必要性を感じ、同日13時ごろにクラウドファンディングを立ち上げました。
そこで照屋が感じたのは人々の「首里城への熱い想い」でした。
クラウドファンディングには、資金支援と同時にメッセージを送る機能があり、そこに県内外、国内外問わず集まってくる首里城へのメッセージに心を動かされたといいます。
そしてそういったメッセージはSNSにも各々の思い出の写真とともに多くアップされていました。
しかし、クラウドファンディングのメッセージは照屋宛に送られるもので、みんなが見るものではなく、SNSにアップされたものも、ほかの情報と混ぜられ流されていく…。
その状況をなんとか変えたいと思い、「首里城への想いを集めるサイトをつくろう」という発想に至りました。
私たちは、首里城が燃えてしまったことへの喪失感や悲しさを、誰かとシェアし、もう一度沖縄の歴史や文化を振り返るきっかけに変えることができれば、沖縄の大きな力になると考えています。
プロジェクトを進めていくうちにわかった想いの多様性
本プロジェクトを進めていき、投稿内容を見たりいろいろな方のお話を聞く中で、首里城に対する想いの多様性に驚かされました。
例えば、首里城のある首里付近に住む中高生にとって、首里城は「遊び場・デートスポット」、そういった方が大学生になると「思い出の場所・懐かしい場所」となるそうです。
しかし、戦争を経験されたご年配の方々にとっては、首里城は「復興の証」だといいます。
太平洋戦争時代、首里城の地下には日本軍の司令部が置かれていました。
太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたこともあり、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる
そこからさまざまな経緯があり、首里城が再建されました。だからこそ「復興の証」なのだそうです。
RISE OKINAWAメンバーの普天間隆太は「焼失前が実は首里城の復元工事が完全に終わった直後だった」といいます。
戦後74年の時を経て、2019年2月に御内原(おうちばら:国王が家族や女官と暮らした場所)が公開され、はじめての首里城祭の直前の火災だったから複雑な気持ちだった、と語っていました。
首里城は長年、高台から沖縄を見守ってきた分、沖縄の人にとって「シンボル」なのだと感じることができました。
おじー・おばーが「首里城は戦争からの復興の証」といったように、今回の首里城火災・そして復興が、沖縄の新たな一歩となると思います。
そして本HPのような、ひとりひとりの想いや一歩を集まる場所があることで沖縄全体の大きな前進に繋がると信じています。
小さくても構いません。
あなたの思い出が、首里城復興や沖縄を盛り上げるための誰かの力になります。
あなたの投稿、お待ちしております。